パールビズ担当者です。
前々回から万葉集の和歌に詠まれている真珠にまつわるお話を紹介していますが、これまでは真珠が恋や女性の象徴として詠まれていましたが、今度は違う象徴として詠まれている和歌をご紹介しましょう。
白珠は 人に知らえず 知らずともよし
知らずとも 吾し知られば 知らずともよし
(巻六―1018)
ここでは白珠が「真珠」のことをさします。
直訳すると、
「真珠は、他人に知られないでよいし、知らなく良い。他人が知らなくても、自分さえ知っていれば、知らなくてもよいのだ」
といったところでしょうか。直訳すると、禅問答のような感じになっていますが、これはどういったことなのでしょうか? ちなみにこの和歌を詠んだのは元興寺のお坊さんで、天平10(738)年に詠まれた歌です。
これは、真珠が何をさすのかですが、ここでは自分のことを「真珠」とたとえているようです。「自分の価値というものは、他人がどうこういっても自分さえわかっていればよいのだ」といったところでしょうか?
当時のお坊さんというのは高学歴の方がなるもので、いわゆる学者のような位置づけだったらしく、そういった知識層の方が周りに不遇に扱われている、もしくは自分が社会のために役に立ちたいと思っていても、満足に働けていない現状を嘆いての歌なのかもしれません。現代社会にもちょっとあてはまりそうな歌ですよね。
あと補足トリビアですが、この歌は通常の和歌の「五・七・五・七・七」ではなく、「五・七・七 五・七・七」という形態になっていますので「旋頭歌(せんどうか)」と呼ばれています。参考までに。
万葉集にみる真珠のお話はこれで終わりです。
次回は古事記にみる真珠のお話といたします。
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